裁判員制度について考える

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裁判員制度について考える

裁判員制度裁判での報道が多いです。
本日あったのは、「検察が死刑を求刑したが、判決は無罪」というもの。
いろいろ考えさせられます・・・。

事実関係は分からないので、判決内容の可否は判断しません。真実が何かも分かりませんし、検証もしません。

ただ、裁判員という名の一般市民が、被告人の生殺与奪の権利を、それも死刑から無罪までの両端を決する決定権を持つということが凄く怖いです。
と同時に、検察の勝率が異常に高かったこの国において、どれだけの「無罪になるはずだった人」が極刑を言い渡されてきたのだろうか、それにも背筋が凍る思いです。

幸い、これまで裁判員に選任された方々は、一個の人間として必死で悩み、苦しみ、自分の人生に照らし合わせて本当に真摯に判決を検討して下さっているように見えます。顔をメディアに晒してまで、意見を述べられた方もいらっしゃいました。
しかし、裁判員は抽選で選ばれるもの。今後、そういう方だけが選任されるとも限りません。どんな人にあたるかは「偶然の産物」ですし、少なくとも裁判官だ けを母集団とするよりは、裁判員の人間性のボラティリティは高くなります。原告・被告からすると「裁判の質」が一定程度に保たれるのかが、非常に疑問とな りますね。

そういった「怖さ」を踏まえた上で、原点に立ち戻りましょう。
そもそも裁判員制度は「なぜ」必要なのでしょうか?
「一般市民の感覚を反映する」ため・・・?本当・・・?

じゃあ、裁判官は一般市民の感覚を理解できないのですか?
だとしたら、そもそも裁判官の育成制度自体が、おかしいのではないですか?
裁判官に一般市民の感覚を理解させるのと、一般市民に裁判員としての負荷をかけるのと、社会的コストはどちら
が安いですか?
なぜ、なぜ、なぜ・・・?
何のための裁判員制度なのか、疑問だらけです。

ここ数年、司法試験制度が変わり、試験の合格者が増加しました。
それでも就職先がなく、バイトをしたり、いきなり独立したりする弁護士もいるそうです。
司法の勉強を一生懸命してきた合格者に仕事が無く、一般市民である裁判員は「自分の仕事を犠牲にしてまで」、「当初は望んでいなかったであろう」裁判員の仕事に従事しています。
このミスマッチは何なんでしょう?

裁判関係者に民間の発想を取り入れたいのであれば、例えば
「裁判官のうち 1/3 以上は、司法試験合格から 5年以内のものとすること」
とすれば充分なのではないでしょうか?
法曹界の方々も人の子。司法試験に合格した瞬間に「あっち側」の人になる訳では無いはずです。仕事がなくてバイトをしていた合格者であれば、法律の素人である裁判員よりも余程適切な判断を下せると思います。
それではダメなのでしょうかね・・・。

実際問題、私が裁判員に選任されたら、本音は「迷惑」と思うでしょう。正直、現役のうちはやりたくありません。
なんで、こんな制度にしたんでしょうね・・・。

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